弘前大学医学部鵬桜会 弘前大学医学部鵬桜会
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「鵬桜会」の名称は
名の示す如く日本一の「桜」の名所で育った会員が「大鵬」の如く、日本はもとより世界に雄飛活躍することを期待して命名された。
「明光出版」からの往復はがきに
ご注意下さい!

最近、「明光出版」という会社から弘前大学同窓生に対し、「弘前大学職業別同窓名鑑」の発行案内が届いているようです。
本件に関しては、下記のとおりですので、ご注意下さい。

1.「明光出版」は、弘前大学医学部鵬桜会とは全く関係ありません。
2. 弘前大学医学部鵬桜会では、会員の個人情報管理を外部の業者に委託することを一切しておりません。

もし、同社からの案内はがき等を返信された場合、弘前大学医学部鵬桜会としては責任を負いかねますので、くれぐれもご注意下さい。

  • 沿 革
  • 定 款
昭和19年 市町村合併以前の旧青森市に青森医学専門学校設立さる。
昭和20年7月28日 日、米軍の空襲で校舎焼失。この際に当時医専1年生、能登山繁が被爆し翌日死亡。
青森医専は廃校の予定であったが、存続のため GHQ、国、県、市への陳情が繰り返し行われ、波瀾曲折を経ながらようやく戦火を受けなかった弘前市へ移転ということで存続決定。
昭和22年3月15日 弘前市立朝陽小学校が青森医専に譲渡され、附属病院として弘前市立病院が提供さる。
昭和23年 青森医専を母体として弘前医科大学が設置許可さる。
昭和26年 弘前大学医学部となる。
昭和27年10月29日
弘前大学医学部同窓会発足
元臨床大講堂に於いて、米田 正(昭24年卒医専一回生)が議長となり、同窓会設立。
初代会長に丸井清泰医学部長が就任(写真1)。
同窓会規則と同窓会名簿の発刊が議決された。
規約第7条により会長は医学部長、会費は200円であった。

以後歴代同窓会会長は2代目佐藤 熙(故人)、3代目中村 勉(故人)。
昭和39年
規約改正により同窓会会長は卒業生から選出となり、近藤利満(昭24年卒)を4代目会長に選出(その後佐藤悌二、現在石戸谷忻一)。
同窓会結成時の幹事長の藤田 孟、玉井定業及び幹事の熱意により同窓会が運営され今日の鵬桜会の基礎をつくった。

苦労の一端が弘前大学医学部新聞一号に掲載されている。
昭和39年5月31日

医学部創立20周年記念が開催、引き続き同窓会総会が午後2時より開催され、記念行事として同窓会館設立が提案された。

昭和41年 弘前医師会館の移転・新築にともない、6月19同窓会総会で、旧医師会館の購入することを承認。
そのため同窓会の法人化が急務となり法人化の手続き等事務的仕事も多くなるので、会長には弘前在住会員の佐藤悌二(医専1回生・24年卒)が就任。
副会長に就任した菅原光雄(27年卒)が直ちに同窓会の法人組織の中心になって文部省(現文部科学省)高等教育局医学教育課と数十回に渡り法人組織を陳情。
昭和42年6月 文部省の現地監査終了。
昭和42年7月31日 弘前大学医学部同窓会が社団法人として文部省より許可、主務官庁は文部省、会の正式名称は「社団法人弘前大学医学部鵬桜会」である。
会長は佐藤悌二、副会長には菅原光雄、理事(藤田 孟、玉井定業、下山 孝、三上亮次郎、小見山喜八郎、笹村雅人、関野英二、石戸谷析一)、監事(川嶋康司、松本和夫)の役員構成でスタートした。
規約は大幅に改正され民法第34による社団法人に則った定款が決められた。
かくして弘前市植田町の旧弘前医師会(含土地71坪)を購入し、名称は鵬桜会館。
事務局と大、小会議室が設けられ、ここに初めて鵬桜会員の拠点が出来た。
法人化に伴い会長は理事長となった。
昭和50年 医学部キャンパス内に新築された医学部会館三階に鵬桜会事務局を移転。
平成6年 弘前大学医学部創立50周年記念事業で新たに建設されたメディカルコミュニケーションセンター(MCC)に連絡事務局を置き、鵬桜会本部を駅前二丁目三浦内科内に設置し、今日に至っている。

平成8年4月1日 鵬桜会本部 MCCに移転。
弘前大学医学部50年史より、記・石戸谷忻一、要約・西澤一治
平成25年4月1日
弘前大学医学部同窓会「鵬桜会」は文部科学省所管の公益社団法人から青森県所管の一般社団法人に移行しました。それに伴い、定款を改訂いたしました。
一般 社団法人弘前大学医部鵬桜会定款 
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