弘前の古町名

2016年6月28日

弘前市内をぶらぶら歩いていると、町名を記した木の柱を見かけます。「古町名標柱」と呼ばれるもので昭和58年から平成8年にかけて設置され、市内に41本(他に、町名ではない「富田の清水」が1本)あるそうです。

 1枚目の写真は、弘前公園西堀の外側、紺屋町の標柱です。その後ろは当会会員たかはし眼科さんです。昔の城下町弘前の人や職業の分布をイメージしながら、町名を聞いて目的地がわかるようになれば、県外の出身者であっても弘前に大分馴染んだなあという気がするのではないでしょうか。

 2枚目の写真は、紙漉町の標柱です。紙漉町は大学病院から見ると五重塔の裏側の辺りになります。町の解説は標柱に譲るとして、写真の建物は「富田の清水(しつこ)」で湧水が流れています。近くには御膳水(町名としては吉野町)と呼ばれる湧水があり、紙漉に適した場所として選ばれたのだと思います。

 3枚目の写真は、新寺町の標柱です。桔梗野大通りと交わる角の所にあります。最初寺院は元寺町の場所に作られたが、消失により新寺町の場所に作られた、ということのようです。ちなみに、弘前市では防災等の観点から交差点の角に写真のような小公園を作るようにしているのだそうです。
 それと、今回標柱巡りをしての発見を一つ。大学病院のある本町の元々の町名が本鍛冶町だったって、知ってました?